僕を再生してくれたプロの治療家たちは、命のサポーターです。


日本が誇る、堅実かつ華麗なるレフティ、名波浩。サッカー日本代表の中盤を支え、1998年FIFAワールドカップフランス大会で活躍。Jリーグでは中山雅史選手らとともにジュビロ磐田の黄金時代を築いた。すべてが順調だった2001年、突然、名波選手を襲った右膝半月板の大ケガ。そして2回の手術と、長期リハビリの日々。再びピッチに戻ってくるまでの10ヵ月、自分の身体と心を見つめ、打ち克つためのもうひとつの戦いがあった。それをともに闘い、サポートしてくれた治療家やスポーツトレーナーたち。名波氏にとってそれはどういう存在だったのか。スタープレイヤーを陰で支えるプロの治療家たちについてうかがった。

現役時代はサッカー日本代表の中盤として、左足から繰り出す華麗なスルーパスや正確なフィードでファンを魅了した名波浩選手。高校、大学、そしてジュビロ磐田へ。常にスター選手であり続け、1998年のFIFAワールドカップフランス大会でも活躍した。現在はテレビ朝日のサッカー解説者として、冷静で的確なゲームを読む目が通をうならせている。 そんな名波氏の知られざる部分、それが10ヵ月のブランクとなった2001年の出来事だ。人気、実力とも最高潮を迎えたときに、右膝半月板損傷という大ケガに見舞われ、順風満帆だった彼のサッカー人生に逆風が吹いた。鼻の骨折などは経験していたが、サッカー選手として致命的となるような大きなケガの経験がなかった名波氏は、ここで初めて挫折を知る。2回にわたる手術、彼の復帰を懸命に支えてくれた治療家やトレーナーたち。輝く人の裏には、必ず輝かせる人がいるのだ。普段、ファンにはうかがい知れないピッチを離れたプロサッカー選手のもうひとつの戦いである、ケガとの戦い。彼はそれをどう乗り越えていったのか。そのとき治療家は何をもたらしたのか。それは将来、スポーツトレーナーを目指すという読者のみなさんにとっても、とても興味深い話だろう。

2001年の致命的なケガは、1度目の手術で復帰し、悪化した。

「サッカー選手にとって、ケガは日常茶飯事のことで、試合中に鼻や鎖骨を折ったままでも知らずにプレイしている選手は大勢います。中山選手なんかは頭の先から足の先まで、痛んでいないところがないくらい、全身がケガのデパートといっていいでしょうね。僕と一緒に出ていた試合のときのことですが、頬骨を骨折し、目がくぼんでしまっているのに、そのままプレイしていましたからね。そのときはさすがになんて人だろうと思いました。そんな僕たちでも致命的なのが足くびや膝のケガなんです。これをやってしまうともちろん走ることができず試合には出られません。少しよくなったからといってムリをすると、今度は選手生命を断たれるような大ケガに繋がってしまうこともある。二次災害と僕は呼んでいますが、実際に、そうした状況下で僕自身もプレイしたことがあります。しかし、マンツーマンになると足を削られる恐怖が強く、自分の思うようなパフォーマンスができませんでしたね。 それはプロに入ってちょうど7年目、目前に2002年の日韓共催FIFAワールドカップが迫っていた2001年のことです。右膝半月板の損傷だったのですが、3月に所属チームのジュビロ磐田が提携している病院で手術を受け、その後1ヵ月で試合に復帰しました。だましだまし試合に出ていたのですが、全盛時の30%くらいしか身体が動かない。実は膝の状態はよくなってはいなかったのです」。

2度目の手術で長期リハビリに。やる気を引き出した看護師の言葉。

「それでも日本代表の海外合宿に呼ばれ、チームドクターだけでなく、対戦チームであるフランス代表のチームドクターにさえ、『このままプレイしていたら選手生命が危ない。早急に再び手術をしたほうがいい』と告げられました。ちょうどニューヨークの9・11のテロが起きたときだったのですが、帰国し再手術を受けることにしました。手術後に車椅子には乗りたくなかったので、すぐに松葉杖を使ったのですが、移動が大変で苦労しましたね。リハビリもなかなか進まず、足を地面につけることさえできない状態が続きました。精神的にも落ち込んでいたときに、担当の看護師さんが、僕にこういいました。 『名波さん、あのストレッチで運ばれていく患者さんは、30代の若さでもう一生立つことができないでしょう。あなたには未来があるけれど、彼にはないのです』。 この言葉に僕は愕然としました。ちょっとばかり長いケガをして腐っているけど、自分には確かに未来がある。そう思って次の日から本気でリハビリに励むことができました」。

自分専属の治療家たちと、自分専用のリハビリメニュー。

「都合10ヵ月ピッチに立てない状態だったのですが、この期間、本当に治療家の方にはお世話になりましたね。高校、大学とサッカーを続け、大きなケガも経験せず、プロに入った後も試合後のマッサージくらいしかやってもらったことのなかった僕が、手術後は僕専用に組み立てられたリハビリメニューの下、毎日専任の方についてもらってリハビリを続けました。整体の方が痛みやむくみなどをとり、次はPT(理学療法士)の方がリハビリの訓練をするという毎日でした。  それまではメディカルルームにはあまり出入りしていませんでしたが、ケガのあとは一番早く来るのは、中山さんか僕で、最後までいるのも中山さんか僕でしたね。ジュビロ磐田は選手の身体のケアにはとても気を遣うクラブで、マッサージや整体をするスポーツトレーナーが3名、リハビリの専門家であるPTも2名、チームドクターも常駐していました。身体のための最新機器も導入され、僕が実験台となり率先して試していましたね。いいと思うものは自分でも購入して、自宅でもやっていました」。

選手の気持ちとシンクロするのが一流のトレーナーの証。

 「選手の身体をケアする治療家やトレーナーには、それぞれの役割分担があります。試合後、身体の疲れや筋肉の緊張をとる人、ケガなどで落ちた機能を回復させる人、試合で動ける身体にアップさせる人、このうち誰がかけても選手はいいパフォーマンスをできないでしょう。  僕がリハビリ中、トレーナーに求めたことは、かゆいところに手が届くようなケアですね。例えば、今日リハビリで20のレベルの負荷がけっこう楽にできたとします。明日には25か30までレベルを上げてほしいなと思っていると、実際にトレーナーが30にレベルを上げてくる。こんなとき、トレーナーは自分の身体のことをすみずみまで知ってくれているなと感じますね。さらに次の日には一気に40まで上げ、僕がキツイなと感じる。すると翌日は20まで下げてくれる。こうした山をつくってくれるのも、身体をうまくコントロールしてくれているなと感じます。こういうやりとりがあると気持ちもホッとするし、やすらぎにも繋がりますね。トレーナーはいかに選手とリハビリのイメージを共有できるか。そして身体を診ながらメンタル面までコントロールしていけるか。そこまでできるのが一流のトレーナーだと思いますね。マンツーマンでケガと向き合い、ケアしてくれた治療家やトレーナーは、僕にとって命のサポーターだと思っています」。

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