不屈のタイガーマスク


タイガーマスク史上、もっとも小柄ながら、もっとも熱く、そして長く戦い続けている4代目タイガーマスク。致命的な首のヘルニアを克服し、今なお彼はトップレスラーとして輝き続けている。そんな彼を支えてきたのは一人の治療家の存在だった。リングの下でも彼は治療家とタッグを組んで戦っている。

ヒーローに憧れた若者の夢。

トップロープから空を舞う華麗な空中殺法から、大向こうをうならせる大技、スープレックスがさく裂すると、観客の興奮は最高潮になる。そして期せずして起こるタイガーコール! プロレスの醍醐味を堪能させてくれる永遠のヒーロー、それがタイガーマスクだ。彼もそんなタイガーマスクに憧れていた若者のひとりだった。スポーツジムに勤めながら、密かにプロレスラーになりたいという夢をずっと抱いていた。ひょんなことから知り合いの車屋さんに紹介されたのが初代タイガーマスクとして一世を風靡した佐山サトルだった。  佐山はすでにプロレスを離れ、修斗(シュート)という新たな格闘技道場を開いていた。晴れて佐山の付き人になり、くる日もくる日も、関節技や突き、蹴りなどの実践技を磨く日々。華麗なプロレスの世界とは異なる一見地味な毎日だった。すっかり修斗の選手として成長した彼に、師匠から突然の申し出があった。 「お前、タイガーマスクになれ」  この一言から彼の人生は大きく動き始めた。タイガーマスクに憧れ、佐山の愛弟子として努力してきた彼に、とうとうチャンスがめぐってきたのだ。「もともと体が大きくない自分がプロレスラーになるには、メキシコに行かなければならないかと思っていた矢先でした。タイガーマスクならジュニアの体型で大丈夫だと佐山さんにいわれ、自分にもプロレスの道が拓けたのです」

4代目タイガーマスクの誕生。

1995年、後楽園ホールでのザ・グレート・サスケ戦で華々しくデビュー。以来みちのくプロレスに所属して、着々と花形レスラーの地位を確立する。数々のタイトル戦を戦い、ファンの記憶に残る名勝負を残してきた。タイガーマスクとしてデビューして、15年間という長い間、トップレスラーであり続けながら、いまだ素顔も本名も明かしていない彼は、根っからのプロレスの体現者となった。  タイガーマスク史上もっとも小柄な彼には、常に怪我との戦いがあった。練習中、トップロープの上から相手選手にフランケンシュタイナーという技をかけられたとき、その選手が失神してしまい、首から真っ逆さまにマットに落とされてしまった。息もできない状態で病院に運び込まれたが、鍛えぬいたプロの筋肉が彼の命を救った。  「まっすぐに落ちたのがよかったといわれました。少しでも右か左にズレていたら、首の骨が折れていたかもしれません。それ以来、首のヘルニアと付き合う毎日となりました。首、膝、腰、肘、もう痛くないところはないくらいですね。痛いからといって試合を休むこともできず、痛み止めのボルタレンを毎日飲んで試合をしてきました。僕ら、レスラーが調子がよいというときは、痛みが少ないという意味で、ボルタレンの回数が少なくて済むということです」

満身創痍の体を救った治療家。

 一度は引退もと考えていた彼を救ったのは佐藤守という一人の治療家の存在だった。大きな病院で検査を受け、手術必須といわれた首のヘルニアを佐藤の献身的な施術でみごと克服したのだ。  「実は佐藤先生とは僕がタイガーマスクになる前からの知り合いでした。かれこれ20年になりますね。途中で何年かは間が空いたけれど、今、こうして佐藤先生とめぐり合えたのはとてもラッキーなことだと思っています。信頼できる治療家がいてくれるから、今も安心して試合ができる。佐藤先生がいる限り、僕もまだまだマスクをかぶり続けますよ」  マットの上で観客に夢と興奮を与え続ける4代目タイガーマスク。彼の活躍を20年にわたり陰で支えていた治療家、佐藤守。佐藤もまたタイガーマスクに負けないプロの中のプロであった。

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